bettaiの水彩画

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2010年 12月 30日

2011年 年賀状 (平成23年)

 世の中が進歩?すると人間の欲望は複雑化するのか、毎年イロイロの事が起こります。お互いに譲り合って穏やかな世を実現したいものです。
 2006年に始まった、大阪駅周辺の大プロジェクトは5月に駅舎関係が一段落、あとは北側の旧貨物ヤード部分の開発が本格化するようです。去年に続いて変貌する梅田を描きました。
 この年賀状を差し上げた、先輩N・Kさんから「このような大屋根を設け人々をターミナルへ導き集中してよいのだろうか、パニックが怖いと・・・・」疑問を呈された。今後の運営状態を見守りたい。
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# by Y-Bettai | 2010-12-30 16:30
2010年 11月 01日

S・M デッラ サルーテ 教会 ヴェネチア

 今日2010年11月01日は私の誕生日、満80歳,格別の感慨はない、今後も御仏の思召すままのお導きで感謝の日々を送りたい。
 予てから姪夫婦が新居に引っ越ししたので、自筆の絵をプレゼントすると約束していたのだが、なかなか果たせなかった、がようやく今日完成できた、くしくも誕生日であった。
 1997年12月24日クリスマスイヴの日この教会に詣でスケッチや写真を撮った、当時描いたこの教会の絵は知人のもとにある、13年前の当時を思い出しながらこの絵を描いた。
大運河の河口に優雅にたたずむサンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂は、バロック建築の最高傑作。1630年、2度目の猛威を振るったペストが終息したことに感謝し、元老院は聖堂を造ることをきめ、新鋭建築家バルダッサーレ・ロンゲーナの指揮のもと、1687年に完成し、サルーテ(健康)の名を冠して聖母マリアに捧げられた。対岸からの眺めるヴェネチィアン・ローズに染まった聖堂のシルエットは、この上なく美しい。(講談社発行の案内書より)
 ついでに表題の自画像も最近の姿のものと入れ替えました
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 ’97年に描いた聖堂
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# by Y-Bettai | 2010-11-01 16:33
2010年 09月 04日

コメント欄を承認制にします。

このブログに無関係な野卑なコメントがしばしば記載されますので承認制にしました,コメントをされる方は設置者Bettaiに連絡をお願いします。

# by Y-Bettai | 2010-09-04 14:12
2009年 12月 30日

2010年 賀状

明けましておめでとうございます、本年もよろしくお願い申し上げます。
このブログで2004年8月にUPした「梅田新道交叉点」と同じ場所からの新風景です。
2006年末解体工事から始まった新阪急梅田ビルの百貨店部分が’09年9月3日オープンしました、高層部分はオフィスとなる予定で地下2階、地上41階、高さ約187mの大ビルで北部分を含めた完成は2012年だそうです。20数年前に描いた絵と並べて見ました。
昔の絵をよく見ると8階建ての阪急百貨店が7階建てに描かれています、あわててスケッチして間違えたようです、が雰囲気は描けていますね???。また新ビルの低層部分(百貨店)の外壁の色を濃く描いてしまいました、実際はもっと淡い色ですが、阪急色の固定概念がこのような色にしてしまったのです・・・・。
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# by Y-Bettai | 2009-12-30 11:39
2009年 04月 01日

洛北・貴船から鞍馬へ

貴船川 川床 川の上に設えられた料亭の席、岩の間を流れるせせらぎが涼感をよぶ、ヒンヤリとした冷気(霊気)、湿気が多く涼しかった。料理は1人前、梅6千円(並)参詣人の昼飯としては・・・・・(’90夏)
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貴船神社 参詣道 鴨川の水源地にあたり、古来より水の神様として崇敬を集めている。
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貴船神社奥宮 参道 本宮より500メートル上流に鎮座まします古社中の古社、伝説によると第18代反正天皇の御世の創建といわれている。
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木の根道:樹齢数百年を超える杉の大木が地盤が固くて地下に張れない根が、地表を這って造形美を見せている、踏まれても踏まれても黙して耐え、大樹を育てている。 
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魔王殿拝殿と魔王殿:鞍馬山は2億5千万年前に火山の爆発により海底が隆起して生まれた。護法魔王尊のまします魔王殿あたりは、サンゴやウミユリ等の化石を含んだ石灰岩が豊富である。
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# by Y-Bettai | 2009-04-01 08:08
2009年 01月 01日

2009年(平成21年)年賀状

 明けましておめでとう御座います。今年の賀状は国の重要文化財に指定された「淀屋橋」です。
 この橋は大阪市のメインストリートである御堂筋の一部となっており、国道25号線に指定されています、元々は土佐堀川に架かる橋ですが、地下鉄御堂筋線と京阪電車の駅名にされたことから、この付近の地域名にもなっています。
 橋名の由来は、江戸時代の豪商・淀屋がこの橋を架け管理したことによります。現行の橋の意匠(デザイン)は、すぐ北側の堂島川に架かる大江橋とともに、1924年に大阪市の第1次都市計画事業で公募された当選案を基に実施されたが、景観に配慮されたデザインは周辺の雰囲気によく」調和しています。
大阪市でおこなった橋に関する意識調査によると、大阪市民が最も魅力を感じている橋は淀屋橋となっていて、その票数も群を抜いて高いそうです。
 淀屋橋の人気の高い理由を考えてみると、①橋のデザインが優れている ②周辺の環境と橋がよく調和している ③古い歴史がある ④利用する機会が多い ⑤駅名に使われ、なじみが深い などが考えられ、また淀屋橋は大阪で最も多くの人に利用されていて、御堂筋を1日に走る車は6万台を越え、また歩いて渡る人は7万人を越えている。そのほか、地下鉄や京阪電車の淀屋橋駅で乗り降りする人は20万人にもなり、橋の名を常に聞くことになる、このように橋が身近であることが愛着を持つ大きな要因なのだろう。(大阪橋ものがたり、他から)
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後ろの建物は1985年に完成した大阪市庁舎です、その外装にはアルゼンチン産の花崗岩をふんだんに使ってあり、周囲の環境によくとけこんでいます。
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# by Y-Bettai | 2009-01-01 01:34
2008年 12月 31日

京都:嵐山・嵯峨野

天龍寺・庫裏  参道を歩いて突き当たりに庫裏が見える、何か曰くありげな建物だがここを左に曲がって名勝・史跡の曹源池庭園を拝観するのが本筋だが、この庫裏に目が行ってしまった。
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大覚寺・大沢の池 嵯峨天皇が離宮を造営したとき、中国の洞庭湖を模して造った池。大宮人が観月を楽しんだ池泉舟遊式庭園の遺構である。春は桜、秋は紅葉が美しい。 
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この絵の池の水面は写真を合成しました。

嵯峨野・民家 
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この絵は3枚とも同じ民家です、描いた次期は違いますが。

二尊院:総門 本堂に本尊として釈迦、阿弥陀の二尊を安置してあるので二尊院の名がある、後ろに小倉山をひかえ、古来さくらと紅葉の名所として知られている。豪壮な総門は伏見城の薬医門を移したもの。
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化野・念仏寺 無縁になってしまった8000余の石仏・石塔西院の河原があり、無常感あふれる寺として知られている。
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落柿舎 江戸時代の俳人向井去来の遺跡。ある商人が落柿舎の柿を買う約束をしたが、大風のため一夜にして柿の実が全部落ちてしまった故事による。
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# by Y-Bettai | 2008-12-31 18:43
2008年 12月 31日

京都:東山

清水寺 本堂(国宝) この寺は1200年以上にわたる歴史を持っているが、9回も火災にかかっていて、現在の建物のできたのは1630年ころ、したがって建ってから370余年しかならず京都では決して古い物ではない。しかし焼けても焼けても在りし日の姿に復興されたのは、まことに信仰の力によるものであった。
寺伝によると770年頃すでに草庵が営まれていたが、798年時の将軍で伝説的にも名高い英雄 坂ノ上田村麿が深くこの寺に帰依し、本尊の千手観音を作ってこの寺に納めた。つづいて807年に田村麿夫人がその寝殿(貴族住宅の正殿)と炊事屋を施入し、それによって堂宇が広大されたといわれる。
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清水寺 音羽の瀧 本堂東側の石段を下ったところに、3本の懸桶(カケヒ)から流れ落ちている。長い柄杓に受けて飲むようになっているが、右から長寿・健康・勉学に効くとか。 
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法然院 山門 風流な茅葺の山門と大きな盛り砂、杉苔の庭などがいい雰囲気の寺。参道の藪椿が咲く3月中旬から4月上旬、楓が色ずく11月中旬から下旬が美しい。谷崎潤一郎の眠る墓もある。
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# by Y-Bettai | 2008-12-31 18:31
2008年 01月 02日

2008年 年賀状 「大阪府立中之島図書館」

 明けましておめでとうございます。このブログの更新はほぼ1年ぶりです。
恒例により、年賀状をUpします。 2006年から始めた「大阪の名建築」シリーズ第3弾です。
大阪市役所と大阪市中之島公会堂の間に建っている、この建物は明治37年(1904)住友家の第15代家長・住友吉左衛門友純(トモイト)(西園寺公望の実弟)が建築費20万円、図書費5万円をすべて寄贈して完成しました。25万円といえば控えめな換算でも現在の300億円です、当時大阪に図書館がなかった、友純は「祖先以来大阪に荷える洪恩の万一に酬ひ度」として明治33年2月、大阪府府に図書館の寄贈を申し出た。友純の意向を受けて前年から欧米の視察旅行していた建築家・野口孫市(1869~1915)が帰国し、起工は9月だから、野口は実質数ヶ月でこの名建築の図面を引いたことになる。
 中之島図書館のデザインのルーツはシカゴ市のブラックストン記念図書館、一説には北イタリアの小都市ビチェンツァ郊外の丘にに建つ、「ビラ・ロトンダ」(別荘)アンドレァ・パラーデォ設計にも似ている・・・・・、などの話もありますが、坂本勝比古(神戸芸術工科大学教授・建築史)は、中之島図書館が特定のモデルをもとに設計されたという見方を疑問とされ、「野口はヨーロッパ伝統の技法」を綜合し、独自のやり方で時代の精神を表現した。使命は十分達成された」と評価しています。1974年(昭和49年)国の重要文化財に指定されました。(朝日新聞’96・8・29、9・12。大阪近代史話’85年発行などより)
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参考として「シカゴ・ブラックストン記念図書館とビラ・ロトンダ」の画像をUpします。
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1996/9/26 現地で撮影,イタリア北部ビィンツェンツア郊外

# by Y-Bettai | 2008-01-02 15:27
2007年 01月 18日

bettaiの水彩画の原点 2007・1・18

暮に物入れを整理したら、学生時代の製図が出てきた。昔描いた透視図などで、60年余も経ているのでずい分退色していたが懐かしく眺めた、つたない面もあるが、私の絵の原点なので、このブログに載せます。
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この絵は53年が経過してすっかり退色していました、それをデジカメで接写してPC内のソフトでレタッチしたのが下(↓)の絵です。もとの色合いとは全然違いますが・・・・・
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この絵は大学の卒業計画のパース(Perspective:透視図)です、「美術館・図書館・音楽ホールを一体とする綜合文化施設」と題しました、当時「愛知県文化会館」の設計競技が公募されていたので、その募集要項にヒントを得て、卒業計画のテーマにしました、提出前の1週間は昼夜兼行、名古屋工大3年に在学していた友人に応援してもらい、進駐軍放送FANを聴きながらひたすら製図板の向かいました。甲斐あって、昭和29年度日本建築学会近畿支部主催「近畿地区大学・高等学校建築科の卒業設計競技」大学の部に入選し表彰されました。記念に頂いた万年筆がまだ残っていました、もう使えませんが、横のシャーペンは就職した会社の社長がこのことを祝って贈ってくれたものです、これはつかえます。
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建築学会近畿支部から戴いた表彰状が最近見つかったので少し面映いですがUPしました。(2010・11・01)
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続いて在学中の課題製図の中からアップします。
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3年次の課題の住宅で、アメリカの建築雑誌「フォーラム」に掲載されていた、F・Lライトの「落水荘」を見てチヨット真似たもの、指導教授は「バックの林のデザインがいいねー」といったのみ。↑

小公園内に建つ図書館(3年次)↑

4年次 学校建築の課題に「建築学科独立教室」を提出。↑
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4年次 美術館 パースの下絵 彩色したものは紛失?↑
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津工高2年の作品、着色の手本を先生自らN生徒の作品に手をいれ説明しながらの実地教育で、その先生は伊藤一秀という方で、旧制横浜高工の名物教授「中村順平」の教え子でした。初めて水張りをして、彩色に何度か失敗して海綿で洗い消し、ケント紙が破れる寸前まで重ね塗りをしました、絵の具にポスターカラーの白を混ぜ不透明水彩にして塗り重ねたものです。下手ですが懐かしい作品です。↑
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実社会に出て5年目ある設計競技に応募した時のパース「ユースホステル」です。↑

# by Y-Bettai | 2007-01-18 21:40