2012年 05月 06日

大阪歴史博物館特集展示「中村順平」建築芸術の探求、を見て

5月5日、標題の展示を拝観して高校当時の恩師に思いを馳せました。
 建築家『中村順平』の名は64・5年前(昭和24年1949)、三重県立津工業学校建築科在学当時、設計製図を指導して頂いた、先生方、林久満・伊藤一秀・江川好巳(年齢順)、3名が横浜高工のご出身で中村教授の薫陶を受けられ、折に付け中村教授の逸話を聴かせてくれました。特に伊藤先生は実地指導で製図用紙を製図板に水張り、ギリシャ建築のイオニア式オーダーを墨入れ(インキング)で描く時、陰影をつけるのに墨をろ過紙で越して膠成分を取り除き、墨で濃淡をつける方法、透視図の背景を描く時の樹木の描き方などを学びました。
 樹木の描き方は、この展示の「前橋八幡宮透視図」に如実に示されていて懐かしい思いがしました。
 横浜高等工業学校の事は、2005年に或るインターネットを検索し、次のような情報をえていました。
 「現在横浜国立大学工学部の前身で電気学科、機械学科、化学科、造船学科、航空学科、建築学科と工業科教員養成コースがあり、建築学科にはフランス留学を終えて帰国した中村教授がいて受験科目が学科とデッサンだったのであこがれて、入学を志した学生が多かった。のちに芸術院会員となった中村教授は、当時の建築界では特異な存在で、フランス語をまじえて、ギリシャ・ヨーロッパのクラシック建築と日本の木造古典建築の美を、スライドを使って微にいり細にわたって徹底的に講義した。当時の横浜高等工業学校は無試験・無処罰・無落第の三無主義が方針で、それだけに、かえって学生の自己責任が大きく学業も大変であった」 とありました。
この展示会でも『建築学講義風景』大西春雄:画として展示されていました。
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上の写真は1949年(昭和24年)津工業高校での伊藤一秀先生の建築計画の授業風景「劇場可視線の決定」です。当時の学校は戦災で焼け落ち、旧陸軍の兵舎(津市久居地区)を利用していました。
 伊藤先生と私(bettai)の関係は2005年6月の 私の[水彩画]展の項にも書いています。

by Y-Bettai | 2012-05-06 15:15


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